グ~。寝不足が続いてたので横になり仮眠を取る。頭もすっきり。遅くなったが文章を書き始める。さいたま市役所の移転の場所を出かけた帰りに見て来た。
(- ゛-) ココか~
本庁舎整備等に係る基本的な考え方。この資料の10ページと11ページに説明が書かれている。3つの場所が検討されてるのがわかる。
1:食肉中央卸売市場ほか街区
2:コクーン2・3街区
3:さいたま新都心バスターミナルほか街区
検討された結果が3のさいたま新都心バスターミナルほか街区がふさわしいと考えてるようである。
この3つの案は合併協定書と言う縛りがある中で選んだに過ぎない。さいたま市民に取り何が必要かその為にどこに作るかを考えたものではありません。
一刀両断。
「ばっさり!」
合併を進めた人たちの思い。市庁舎はパワーバランスの象徴と考えたのでしょう。市民の思いでは無く権力のパワーバランスの象徴である。大変な協議を重ねたことが市庁舎の位置をわざわざ入れ込んだことに見える。
3市が重なる場所。新都心付近を選んだ理由のひとつとして選んだことは透けて見える。
政治的な選択が強いと言わざる得ない。
コロナ禍で働く形が変わる。激変だ。働く場所として市庁舎を市の中心部に置く理由が無くなったのです。リモートワークにより出社しない日も増える。民間に行政が求めてるのに行政が市庁舎の規模や場所の選択に考慮しないのはおかしいのです。
今までの検討にコロナ禍後。新しい働く形を市庁舎について検討しないことが変である。
中心地にあった本社を売って地方へ。そんな中でなぜさいたま市は20年前の合併協定書に縛られるのか?議論しないといけません。
少し合併協定書のことは横においた方がイイ。最終的に調和できるかを検討する手順にした方がイイでしょう。
なんでこの場所に何を作るの?
普通は必要な考えがあり作られるのです。
新市庁舎はおかしなことになってます。
このことを指摘しておきましょ。
普通は必要なもの(考え)を適した場所を見つけてデザインを描きます。場所が優先され過ぎると無理な建造物ができる。
ちぐはぐになります。
まずはコロナ禍。働く形が変わる中。市民が使うことが無い市庁舎。
*市民が使うのは区役所である。
・なぜ市の中心部に作るのか。
・市民の為となる機能とはなんなのか。
・市民とは誰の事か?
・どんな人たちがどのように使うことを想定した運用の形もイメージ
イメージされたものを設計者が描かないと使えるものになりません。
*おらがお城。権力の象徴。一部の者たちの自己満足で終わり。
私は否定からものを考えないタイプの人である。新市庁舎を作るなら。この流れを市民の為にする方法は無いか。検討することを始めています。
市民の為にならない権力の象徴だけなら・・。令和の時代にはあいません。否定した方がさいたま市民の為になるでしょう。
市民が声を出せるのは基本計画を作る期間だけ。現在はパブリックコメントとタウンミーティングをして市民の声を聞いたふりをするだけ。基本計画作成の期間に関われるとも言えないのです。
なんら市民の声は反映なんてされません。
市民の代表とされる議員。
彼らは決められた流れの中で意見を言ったふりをするだけ。なんら自分らで作った経験が無いのでしょう。民主主義を勘違いしてる人も多い。多分知らないのでしょう。
彼らには任せられません。
いてもいなくても何ら変わらないからである。
「きっぱり!」
「市民の邪魔するなよ!」
と言いたいくらいである。
私は写真を撮る人なので景観の重要性の意識が高い。市民のシンボル的な場所。どのように醸造されていくのか。映像に綺麗に映れる場所に作ることの重要性があることを知っている。
写真を見て人は訪れる。
人としゃべる時も共通の映像を頭に描きながらしゃべる。シンボル性を建造物に持たす時は景観が重要になります。自慢できる景観になっていないとお国自慢もしません。
自慢は地域への誇りの入り口である。
さいたま新都心付近。中心部は白紙の状態から描けた。新都心に作ることを20年前に想定しながら土地を押さえておかなかったことに驚く。
共産党でも土地を押さえていたのに・・。
「えっ」でしょ。
ミ((((( ̄○ ̄) すうぃ~
おかしいことをおかしいと言える人でいたい
2021-NO:001-08月発行
2021-NO:002-09特別発行
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視覚障害者の美術鑑賞レポート2020制作中
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