2024年8月13日火曜日

夏休みの読書:能登地震2:20240713(火)


昨日外を歩いてるとクラクラ。水分補給をするが追いつかない暑さだった。マックに逃げてマックシェイクのバニラのM。220円を購入。冷房とシェイクの冷たさで回復する。

(- ゛-) 復活!

今日も本を読みながらひとりごと。
シン・防災論:鈴木哲夫の続きを読む。

能登半島地震:2024年1月1日
16時10分:地震発生。

政府の対応の酷さ
知れば知るほど呆れることばかりだ。
阪神淡路大震災(1995年1月17日5時46分。)
の時のことが書かれていた。

時の首相は村山富市。
自社さ政権である。

後藤田正春が村山富市に言ったこと
そのことが書かれていた。

・生命最優先でやれることはやれ
ルール違反だってかまわない:後藤田正春

・天災は人間の力ではどうしようもない。
地震が起きたことはどうしようもない。
しかし起きた後のことは人災だ:後藤田正春

・現場から離れた官邸では何も分からない。
現場に決定権を持たす政治家を派遣させる。
すべて現場で決め、その責任は私が取る:村山富市

後藤田と言う危機管理のエキスパート
首相に進言できる人がいたことから
首相の村山富市も腹をくくる。

読む限りだが・・
上に立つ人として非常にまっとう
改めて阪神淡路大震災の本
読みたくなりましたね。

私は1995年1月17日。
阪神淡路大震災の発生した時。
南フランスからモナコ周辺を旅していた。
地震が起きたことを知ったのはモナコだ。

モナコのユースホステルのスタッフから
日本のどこに住んでるか聞かれる。
心配してくれてるようだ。

日本で大地震が起きていること
英語で私に伝えるがちんぷんかんぷん。
伝わらずスタッフは困っていた。

私は英語もフランス語わからん。
単語拾いで言葉の意味を想像
それでも旅はなんとかなる。

ただ具体的な会話は無理。
地震の話しの中で使われる単語
ほとんどわかりませんでしたね。

重要な話しだと思ったのでしょう。
他の日本人を連れてきてくれる。

初めて日本の神戸地方の大地震を知る。
私はのんきな男でした。

一瞬日本に帰るべきか考えるが
帰ったとしても何もできないだろう。
旅を続けることにした。

「ぱく」。

南仏の魚介類はおいしかった。

1995年12月に日本に戻り
最初に訪ねたのが神戸である。
気にはなっていたのです。

その気持ちを表現したく
最初に日本で訪れたのが神戸。
何度もショッピングに来たことのある
高架下の靴屋に寄りましたね。

高架下のお店
シャッター閉まってるお店もあったが
予想よりはるかに商売していた。

お手伝いすることはなさそうなので
神戸・大阪・京都と見て回り
埼玉へ戻りましたね。

日本に戻りニュースを読む
阪神淡路大震災と同じ1995年
沖縄少女暴行事件が起きてる。
まだニュースで取り上げられてた。

沖縄にもすぐに行きましたね。
欧州で影響を受けたこともアルだろう。
日本人としてのアイデンティー
目覚めたとも言える。

2000年。
小渕首相が突然亡くなり
清和会の森が首相になってから
この国は異様なかたちに
徐々に変わっていく。

日本で起きた大災害。
この対応の比較をしてみても
災害対応からも見えてきそうである。

あの社民党のトンちゃん。
村山富市がまともにミエルくらい
現在の日本の異様さが浮かぶ。
最近は読書もしてなかった。
夏の暑い日は涼しい場所で読書
文章は動画と違い味わいながら読む。
ポイントを掴むにはイイのです。

こんなこと書いてますが
動画をぼけっと見るのも好きですね。
ミ((((( ̄○ ̄) あほ~

文責:斉藤吉智
080-7708-5501

*パソコン故障中。
ブログはしばらくはスマホから投稿。

七里の桜の写真(note)はしばらく投稿できん。
その日の天気とコメントだけ記載しておく。

◉写真
20240813。火曜日。七里の桜。朝は晴れ(伐採監視中)。早朝撮影・運動が終わると氷水を飲み頭から浴びる。生き返ります。たっぷり水分補給するのでお腹が膨れる。たっぷん。今日の七里の桜の木の風景です。

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