さいたま国際芸術祭2020。会場のひとつ。旧さいたま市大宮図書館の展示のひとつに書いてある言葉とさいたま市役所のギャップに驚く。
(- ゛-) でこぴーん!
「「もともと市民の持っている力とすでにある場所をマッチングし、市民が参加することで、生きる為の学びの場が着々と増えて行く構想。」」
この取り組みを進めていくことが紹介されている。
かなり広いスペースを使いさいたまスタディーズ2と言うテーマが紹介されてる中に書かれていた。Learned-scape Sightamaと言うコーナーで農民師匠と言う江戸時代から行われてキタさいたまの取り組みを今後展開しようと言うことらしい。
面白いと思いしたね。
同時にさいたま市は嘘つきだと思った。
清水さいたま市長は七里駅の桜の木を切ろうとしている。市が東武鉄道に依頼し南北の通路を駅に作ります。同時に北側の区画整理事業も行われます。
この時に駅前にある桜の木が撤去(切断)されます。3本のソメイヨシノの桜の木ですが株立と言う樹形をしている。ひとつの株から複数の幹が伸びている珍しいソメイヨシノの桜の木だ。
素晴らしいのは桜が散る頃になるとホームが桜の花びらでピンク色に染まります。東武鉄道七里駅では桜が咲くとホームのベンチを桜の木の方へ向けます。
東武鉄道も駅のサービスとして行ってキタ。
通勤や通学でホームを利用する人たち。電車を待つ10分間の短い間ですけど。コロナ禍の中でも花見を楽しんだのです。
東武鉄道七里駅では桜の咲く時期だけベンチを桜の方へ向ける。通勤通学で利用する人も電車を待つ10分間の花見を楽しんでキタのです。
映像を撮る人や絵を描く人も駅と桜の木を表現してキタ。暮らしの中で自然が生み出す芸術と触れ合う場所。樹齢70年と言う歳月の中で作られた空間。
どんな理由で無くすのでしょう蚊。
桜の木は駅の顔となり地域づくりに取って有効であることは誰もが頭に描けます。地域経済へもプラスになると予測する人のが多いのです。
なぜさいたま市は桜の木を撤去(切断)するのでしょう。
東武鉄道は駅舎はさいたま市区画整理支援課。土地の区画整理は土地区画整理協会に任せていると言う。協会はさいたま市が出資する法人である。
ようするにさいたま市がどうとでもなる。清水市長の判断で桜の木もどうとでもなると言うことだ。
正確には組合(地権者)が区画整理を行い道路を市が作る。ただこれは手法のことである。実態は市の出資法人である協会が事務代行と言う名の下で区画整理を行っているのである。
駅舎も同じ。東武鉄道に委託し補助金を出して行っている。清水市長の判断でどうとでもなる。
もしさいたま市に同じさいたま市の事業として行っているさいたま国際芸術祭2020。この中でも紹介されている考えがあるなら。
七里駅の桜の木で問題は起きない。
残したからだ。
もしさいたま市にさいたま市文化芸術都市創造条例。条例に対する認識があれば。こんな問題は起きなかった。桜の木は切らないからだ。
七里駅北側の区画整理。さいたま市合併1年後の2002年に埼玉県に事業認可を受けている。
2003年さいたま市は政令指定都市へ。独自に認可できるので七里駅北側の区画整理事業の権限も移る。当時の資料もさいたま市へ譲渡された。県に電話で確認しております。
毎日新聞が2002年頃のことを少し書いています。
このことから私も少しずつ調査を始めています。なぜ桜の木を考慮せず伐採を前提に区画整理事業は動いたのか。さいたまは農民師匠と言う寺小屋があった。
さいたま国際芸術祭で紹介されています。
●正面写真
*欧州の旅から帰国した後に資料調べで時々利用した図書館です。米国の学者がイスラエルのキブツを書いた本が1冊1996年に蔵書されていた。非常に幅広い蔵書のある図書館だったので思い出深い図書館です。
地域の中で学ぶ空間が作られてきたはずである。七里駅北側は農地を守る人がいた場所だ。それで駅前なのに農業が行われていた地だったのです。
そんな人たちがいた場所。本来なら桜の木を残す中で区画整理が行われるのが自然である。それがなぜ桜の木を撤去するかたちで交渉が進んだのか?
凄く不思議。
知れば知るほど不思議なこと。七里駅の桜の木を撤去(切断)する背景にあるのです。
現在桜の木の場所は3名の方の宅地になる。そんな話を地元の方からお伺いしています。何があったのでしょう蚊。
ミ((((( ̄○ ̄) ぶ~んぶん。
20201101晴れ。
切られてませんでした。「ほっ」。
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