さいたま市民が見てるのは東京。東京のある南の方面に詳しい人が多い。自分の家より北側。東京と逆方面はほとんど知らない人が多い。
(- ゛-) ぱふ
私もそんなひとりだった。初めて一眼レフカメラを買った時。試し撮りがしたくて自転車のカゴにカメラを入れてお散歩。住宅地の目の前に突然釧路湿原が現れた。
「んっ」
「なんで・・」
「こんな場所にあるの」
サギや白鳥が目の前にいた。白鳥だよ。住宅地が終わった途端に目の前が湿原地帯なのです。公園ではありません。自然の湿原地帯が広がっていた。
「夢でも見てたんじゃないの?」
そう思うでしょ。
本当にあったのです。
現在新しく町名がついてさいたま市見沼区春野。たぶん私がミタ時。35年くらい前は町名は無かったのでしょう。沼地である。
現在当時の面影を残す建物がある。児童クラブになっている。半円形の建物で展望環境を考えて作られている。建物のある場所は住所が元々あったので深作である。
この建物(当時はレストラン)の目の前が一面湿原地帯だった。建物の後ろ側には住宅が沢山建っていた。住宅で湿原地帯が16号バイバスから見えなかったので気が付かない人が多い。
知らん人が多いのです。
偶然迷い込んだ人だけが知る場所。
現在はこの建物の前はアーバン未来公園。湿原地帯は埋められていくつも大きな公団の団地が作られた。学校も作られ区画整理された住宅地も作られた。
当時ここが湿原地帯だったこと。関東有数の美しい場所だったこと。ほとんどの人は知らないでしょう。少しだけ当時の面影がこの写真にも見えるでしょ。
私は写真を撮る人なので日本だけでなく欧州も行ってます。美しい場所を沢山知ってるけど。この場所ほど驚いた場所は無かった。そんな場所が見沼区にあった。
だって普通の住宅地を自転車で走っていたら。急に目の前に湿原地帯があるのです。柵も無い自然そのものの湿原地帯だ。それが広いのです。
初めて一眼レフを買い撮影した場所がココなのです。現在この建物の前の公園はアーバン未来公園と呼ばれている。深く掘られ調整池となっています。
東京の人が見たら沢山木が植えられ綺麗な公園。そう思うでしょう。調整池を利用した公園の中でも綺麗な公園に仕上がってます。
自然環境が豊かな住宅地として現在このエリアはあります。
ただ・・。日本一住宅地に近い美しい湿原地帯。サギや白鳥が日常の風景にあった空間。もう見ることはできない。この風景がヨーロッパにあったら。日本人は高い金払って見に行きます。
TVで住宅地に突然現れる自然の湿原地帯。そんなキャッチコピーを付けて紹介されるでしょう。ヨーロッパにあればね。さいたま市見沼区にあると埋められてしまいます。
今でも・・。
この地域に来るとため息が出ますね。調整池のアーバン未来公園はどこにでもある人工的な風景でしかない。もう少し文化を残すことを考えないといけません。郷土愛?
「はぁ~?」
初めてこの湿原地帯に気が付いた3年後。再び来た時は半分くらい埋められブルドーザーが置かれていた。放置するとこうなることを体験してます。
環境運動なんて関わったことないけど。誰が見ても美しいと感じる風景。壊せる人がいることに驚く。人間って立場によって悪魔になります。特に日本人はね。
七里駅の桜の木も同じです。見沼区七里駅でなく。北鎌倉駅にあったら。多くの観光客が写真を撮ったでしょう。地域の宝として大切にされた。
七里駅の柵の中で70年間成長。もし柵の外だったら横に伸びた幹は切られていたでしょう。横に伸びた幹から広がった枝に咲く桜の花。桜の花の量の多さに驚きます。
偶然が重なり作られた桜の木。この地の宝として残すべきでしょう。残せない理由なんてありません。
昔の人は地域の宝として木も残してるのです。郷土と言うのは共同体によりできてます。個人の所有物でも村の宝となる木。残していくのが普通だった。
村の宝を残す役目を名誉と思ったのです。東武鉄道は地域の共同体を無視するのでしょうか。このことがとても不思議である。
鉄道会社は公共交通として税制優遇などを受けています。多くの国民が支えて成り立っている事業である。こんなあたりまえのことすらわからないのでしょう蚊。
昔の日本の企業の考え方なら。普通は桜の木の土地を寄付するのです。地域で大切に守ってくださいとね。
東武鉄道の社長って
外国人蚊?
ミ((((( ̄○ ̄) 誰?
20201126晴れ。
切られてませんでした。「ほっ」。
大宮経済新聞20201114
毎日新聞20201119
朝日新聞20201125
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