埼玉県の大宮駅は北関東の要となる交通の要所である。桜の木がある七里駅は大宮駅から5km圏内にあります。七里駅北側は駅前で農業が行われる地域だった。
(- ゛-) 売んね~
農業を行う地域は長年その土地に住んでる人が多い地域である。土地への愛着が強く共同体意識も高い人が多いのです。
そんな地域で行われる区画整理事業。樹齢70年以上の株立ちと言う複数の幹がひとつの株から伸びている珍しい桜の木。切ると言うのである。
「なんで?」
普通そう思うのが自然である。元々区画整理の提案が旧大宮市からあっても断っていたと聞いていた。そんな土地で起きてることなのです。
なぜ区画整理に合意したのか?
なぜ駅前の顔ともなる桜の木
切ることになったのか?
不思議なのです。
まるで土地に住んでなかった人がさくらの木の場所に宅地の権利を得たような印象すら感じる。この地域を無視した感覚。この土地を守り続けた人たちの共同体意識が見えん。
「・・・」。
11月3日文化の日。桜の木の写真を撮りに行くと七里の桜を守る会の方々も来ていた。電話ではお話をさせて頂いたのですが会うのは初めてである。
地権者の方に桜の木を切らないでと言う署名をお願いに行くとのこと。区画整理組合(地権者)の方は約700名います。1軒1軒回られるそうである。
頭が下がりますね。
七里の桜の木を守る会の方とメールのやりとりをする中。この日のことが書いてあった。地権者の方も署名してくださる方が何人もいらしたそうだ。
桜の木を切るなんて知らず区画整理の話が進んだようだ。桜の木の撤去の看板と新聞で知ったそうである。
納得できる話である。
どう見ても一番反対するのがこの区画整理が行われる風渡野(ふっとの)と呼ばれる地域である。元々土地へのこだわりが強い地域だったのです。
だから不思議なのです。
誰がいつ桜の木の場所の宅地
割り当てられたのか?
いつ?
誰が?
他の地権者の方
なぜ桜の木を切ること知らない?
このヒントが20200822土曜日の毎日新聞のさいたま地方版に書いてあった。2002年度に埼玉県が認可したと書いてあったのを見過ごしていた。
たったこれだけなんだけど。2002年に埼玉県が認可。これはどういう事かと言うと・・。2001年に旧大宮市と浦和市と与野市が合併。合併前に区画整理をする為の動きがあったと言うことだ。
すぐに組合設立の経緯の情報取得に動く。認可した埼玉県に連絡。2003年にさいたま市は政令指定都市になったことにより。権限がさいたま市へ移る。同時に資料もさいたま市へ渡されたとのこと。
さいたま市へ連絡。資料の開示を求める。さいたま市の出資法人である土地区画整理協会へ資料は渡されたとのこと。協会に確認すると資料は現場の方で保管してるそうだ。すべてあるそうだ。
まずは組合設立経緯の資料を貰う。
みるとすぐわかる。
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平成12年7月2日七里駅北側地区土地区画整理事業組合設立準備委員会結成以降現在まで 準備委員会計33回開催
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こんな記述が出てくる。
平成3年で止まっていた組合設立の経緯。平成12年にひとまとめにされて準備委員会の名の下に書かれている。
これは昭和61年から組合設立に動いていたと言う印象の為の工夫である。よく役人がごまかす時に行う手法に私には見えます。
何度か開示請求した時にミタ手法です。
文章を書くのに慣れた人はわかる。
書き手の心理が読めます。
勘違いです蚊?
「じろり」。
まだ詳しくは調べてないけど。一度区画整理の合意が得られず潰れた。そんな話も地元の人から聞こえてくる。この辺は要調査でしょう。
何が言いたいかと言うと・・。
合併を想定して旧大宮市は動いた。浦和と与野と合併すると大宮は負けると言われていたのです。市長選でね。事実合併後の市長選で負けたのだ。
浦和の人が市長になる。人事から予算から全部持ってかれたと言われている。浦和駅前の整備が進みましたね。
負けることを想定して予算を大宮の市民の為に使おうと旧大宮市は事業を進めたのである。この時の状況を私は良く知ってます。
現在の北区役所のある周辺。ここのまちづくりを合併前に進めたのである。この時にバリアフリーに対する考えを障害者団体に聞きに来たのが旧大宮市だ。
私はOMIYAばりあフリー研究会と言う障害者団体の設立者で事務局長を当時していた。旧大宮市の職員に話した一つが歩道のタイルだった。
バリアフリー自体は街づくり条例もある。基本的なことは説明するまでも無いのです。暮らしの経験の中からの声を市に伝えるのが団体の役目である。
そのひとつが歩道のタイルの素材。雨が降ると滑る歩道のタイルの素材が多いのです。晴れた日の素材感と見た目で決めてしまう自治体が多い。
タイルのメーカーも当時はわかってない。
北区役所周辺のまちづくり。歩道のタイルの試作品を作って貰い確認から始めたのです。その時の雑談の中にも出ていたのが合併後の話である。
現在さいたま市で行われている旧大宮市の事業の経緯。調べると合併前に事業化の動きになったものが結構ある。氷川神社参道の歩道化もそうである。
旧大宮市は埼玉県一の商業地である。北関東の交通の要の大宮駅がある市だった。浦和と与野と合併しても大宮の予算を持ってかれるだけ。そう言われていたのです。
なんか大阪市と大阪府の住民投票見たいでしょ。
合併を想定して事業決定を進める中。七里駅北側の区画整理の話も当時聞こえていたのです。七里駅北側の組合のできるまでの経緯。見つめると行間に見えますね。
合併前に進めようとした動きがね。
慌てた中で何があったのか?
だって変である。桜の木を切る話を地権者は説明を受けてない。そんな話が聞こえてくるのです。
七里の桜の木を守る会。会の方が地権者の方々に桜の木を切らないでと言う署名。貰いに行くと署名して下さる方が沢山いるそうである。
変でしょ。
この区画整理って等値交換である。桜の木のある場所も3名の方が割り当てられてると聞いている。書類では現在確認できてない。
桜の木のある土地の所有者。名義は現在も東武鉄道のままなのです。11月4日に登記簿謄本で確認してます。
区画整理で割り当てられた人の中で名義を変えた人もいます。名義を変えた理由は遺産相続の関係だと区画整理協会は言っています。
土地の割り当ては10年度までに完了。これも毎日新聞20200822土曜日に書いてある。完了してると言うことは土地の税金の関係もあります。普通は名義変えるんじゃないの?
地権者はどこの税金払ってるんでしょ。
「・・・」。
反対が多い桜の木を切って宅地にする?普通はできません。共同体の中で暮らしているからだ。土地の方が区画整理しても住むんじゃないの?
そうなんでしょ?
桜の木の場所
土地の方が住むんでしょ?
ミ((((( ̄○ ̄) じろり
20201107曇り。
切られてませんでした。「ほっ」。
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