開示請求をするとわかる。資料が出てこない時は出したくない理由があるのです。役人個人はルールに従い動くだけ。出てこない時はなんかある。くんくんします。
(- ゛-) クサ
七里駅の桜の木を伐採すると言う。誰がいつ何の為に切るのか全く説明が無い。資料も開示されてない。驚いたのは突然桜の木が危険だから切ると言う調査書。
大笑いである。
だって今年の2月に組合理事会が切ることを決定。7月の組合員の代表である総代の人に説明が行われたと聞いている。木を切る理由として調査が行われ発表されたのが11月だ。
伐採決定後に調査依頼。
調査結果はまだ出てないと
11月まで言い続けて来た。
*録音もあります。
サルでもわかる。
切るための理由を危険にした。
隠したいことがあるからである。
「ピーン!」
2020年11月15日の七里駅の桜の木の意見交換会がさいたま市見沼区役所であった。私も七里の桜の木を守る会が集めていた署名に参加したので意見交換会に一般参加させていただいた。
参加する前にネットで取得できる資料はダウンロード。プリントして書きこんだりしてポイントをピックアップ。読もうと思って読めなかった資料も多かった。
そんな情報を整理してると・・。おやまあ。2001年6月28日掲載の日本工業経済新聞の記事が目に留まる。見出しが東武野田線七里駅北側特定土地取引事業、地権者の同意書収集作業に着手。
さすが工業新聞。視点が建設業など事業者向けだとわかるタイトルである。これはどういう事かと言うと・・。区画整理事業の認可基準の80%の同意を得られる目安が付いた。
だから地権者の同意書収集作業に着手。区画整理事業がこの地域で行われると言うことを書いてるのである。
「むふ」。
少し独自の年表を見せましょ
2000.07.25 さいたま市北区のまちづくりに参加。提案した歩道のタイルが雨に濡れた時でも滑らないかをテスト。
2001.05.01 さいたま市誕生(三市合併)
2001.05.25 さいたま市北区のまちづくりに参加。歩道と道路の境目を段差が無いかたちで素材の違う素材を使うことで段差の有無問題を解消できないか提案。歩道の一部を先行で作って頂き確認作業をする。
2001.06.28 地権者同意書収集着手(七里駅北側区画)
2001.07.15 通勤体験(さいたま市・埼玉県・国土交通省・東武鉄道・JR・記者等参加)
2001.00.00 七里駅橋上舎化について協議。さいたま市と東武鉄道。
2002.02.06 埼玉県知事へ土地区画整理組合設立認可申請書を提出(さいたま市経由)
2002.07.05 埼玉県知事から土地区画整理組合認可される
2003.04.01 さいたま市政令指定都市移行
私の記憶とぴったり一致。
地権者の同意書収集着手前。私が旧大宮市や合併後のさいたま市と現在のさいたま市北区役所周辺のまちづくりに取り組んでいたことがわかる。
上のタイルのテストが2000年7月25日
下の2つの写真が2001年5月25日
私が写った写真も別にあります。
ぴちぴちしてます。
写真埼玉新聞20010715(通勤体験)
この地権者の同意書収集作業を始める前の2001年頃。急に七里駅北側の区画整理が動き出した話が聞こえて来た。しかも業者が私の所に訪ねて来てるのです。
これはまずいのです。
情報が洩れるだけでなく業者まで来た。内容はここでは書きません。
当然私は無視だ。
業者の要求や金儲けの声
しばらく続いていたのです。
私はこの時に110番してるのです。
七里駅の桜の木。この時の犠牲かもしれないのです。金儲けだけに目が向かう中で桜の木の土地が宅地で割り当てられた可能性があるのです。
宅地でなく商業ビルですね。
日本工業経済新聞読むと見える。
掲載は埼玉建設新聞のようだ。
くわしくはここでは書かない。桜の木とは別の話題になってしまうからだ。ただ多くの人が七里駅北側の区画整理はずっと昔の昭和61年から始まってると言う言い方をする。変なのです。
80%の地権者の同意を得られるめどが立たなかった。だから組合設立までの経緯。昭和61年から2002.02.06 埼玉県知事へ土地区画整理組合設立認可申請書を提出(さいたま市経由)するまで長い期間がかかってるのです。
それが急に動き出したのが2001年頃なのです。合併の頃だったと記憶しています。合併すると大宮市の予算が浦和や与野へ持ってかれます。市長選で負けると言われていたからだ。
それで大宮市は先に事業に着手。北区役所周辺のまちづくりがそうなのです。区割りも想定しつつ先にまちづくりに動いた。このことを当時は認識しながら参加していた。
このタイミングで旧大宮市(現さいたま市)が動いた時。どこで知ったのか事業者が私に会いに来ているのです。七里駅北側の区画整理を含む一帯の区画整理の件でね。
覚えてます?2000年前後って構造改革の時である。公共事業の補助金が減らされてる時だ。
バリアフリーがらみだと補助金が通りやすいと言われていた。実際にこの頃は県や市からバリアフリーの点検や会議への参加依頼。多かったのです。
さいたま市は国から合併を促されていた。合併すると補助金を出すと言う話が飛び交っていた。
就職氷河期って言われてる時期。一番悪いのがこの時期でもある。就職氷河期だけ言われてるけど企業の業績が悪いから雇用が減少していたのである。
公共事業が喉から手が出るほど欲しい時期。その他にもいくつか重なることがある。ようするにさいたま市に合併。この頃に日本で一番補助金が通りやすかったのがさいたま市なのでしょう。
ゼネコンがウロウロ。議員秘書もウロウロ。なぜなのかが見つめるとわかりますね。
そしてバリアフリー関係が中でも通りやすい。2000年に介護保険が始まり施設から地域へと国の施策も変わったのです。
このバリアフリー関係の障害者運動の連絡調整窓口。1997年から2001年まで埼玉県の各団体への連絡を私がしていたのです。
私はOMIYAばりあフリー研究会
団体の設立者で事務局長をしていた。
団体名の通りバリアフリーの活動が主だ。
私の所に業者が来た理由。
ふりかえってみると見えますよね。
2001年6月28日掲載の日本工業経済新聞の記事。当時のことを知る手掛かりとなる記事である。かなり具体的な計画ができてることがわかる。予算もわかる。
*追伸
七里の桜の木を守る会の方から
朝日新聞に本日掲載とのこと
これから新聞を買いに行く。
ミ((((( ̄○ ̄) でわ・・。
20201125曇り。
切られてませんでした。「ほっ」。
●本日の桜の木は本文掲載。
大宮経済新聞20201114
毎日新聞20201119
朝日新聞20201125
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