2022年10月2日日曜日

思い出:カメラマン時代:さいたまグラフ:20221002

写真のアシスタントをしたりフリーのカメラマンとしても働く。1988年。24歳の時にさいたまグラフと言う埼玉県広報公社から仕事を貰う。飛び込みで貰った仕事である。


(- ゛-) ぱふ

銀行などに置かれていた写真を中心とした雑誌の仕事である。
あちこちの会社に電話してポートフォリオを持ち売り込みに行っていた。
お仕事を貰えた会社のひとつである。

その時に撮影した写真と雑誌が残っていた。


さいたまグラフ1998年10月号。


岩槻の時の鐘の撮影をさいたまグラフから頼まれる。
掲載された写真です。


この写真は一度プリントしてトーンを見て
焼き込みカ所確認の為の写真です。
約28年年前のプリントです。
かなり傷んでますね。

時の鐘は行ったことが無かった。
岩槻の観光課で場所や資料を貰ってから向かう。
できれば鐘をつく姿を撮りたいと思い代々時の鐘を守って来た方に頼んでみる。
役所との会話の中で近くに住んでいると言う話があった。
聞いてみると撮らせて頂けたのです。

「ラッキー」。

若い人がポートフォリオを持ち売り込みに来る。
日本はツテで仕事を貰うことが多いので珍しいようだ。
特に1980年代はまだまだツテの時代である

頑張ってる若者を応援してくれる方もいます。
若い時は幸運に恵まれることも多い。

「むふ」。

私も目先の利益よりも
未来への足掛かりと考えていた
プリントは自分で手焼きでプリントして納品した。
手間暇かけて作っていたので時間がかかった。

利益を増やすにはプリントは頼んだ方が早いし安い。

20歳代の頃
酢酸のツーンとする匂いが私のオーディコロンだった。
印画紙を定着する為に使うお酢のことだ。

「クサ!」

さいたまグラフ
雑誌の写真部分はモノクロである。
自分でトーンを調整した方が綺麗に仕上げられる。
印刷された雑誌は仕事の実績として次回から使える。
丁寧に納品していた。

仕上がりと印刷された時の仕上がりの違いなど
雑誌ができると1部頂きトーンを確認していた。
もっとコントラスト入れが方がいいかなど
印刷を勉強しながら納品していた。

わからないことだらけである。

懐かしい思い出です。

最近古い資料を整理して捨てている。
捨てる前にスキャナを撮り保存。
ついでに日曜日に投稿。

1988年って・・。
青函トンネル開通。リクルート事件。なだしお事件・・。
私も頑張っていた頃である。

ミ((((( ̄○ ̄) すうぃ~

文責:斉藤吉智

ミ((((( ̄○ ̄) ドンドンドン。


七里の花咲かおじさんとおばさんへの投稿は終了しました。

おかしいことをおかしいと言える人でいたい



2022-03特別号(市役所前配布)


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2021-NO:001-08月発行


2021-NO:002-09特別発行


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●●2021年11月13日土曜日開催(修正再UP)
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テーマは新市庁舎。さいたま新都心へです。
*見沼区役所にて10:00~11:30までの分です。

*私も参加してます。

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■七里の桜や橋上化・南北自由通路経緯

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