何回か毎週土曜日。同じような話を書いている。新しく見つかった資料を見ながら書きながら思い出しているからだ。もう一度書きましょ。
(- ゛-) むふ
北浦和にある埼玉県立近代美術館の近くに住んでいた方
視覚障害を持つ早川さんからOMIYAばりあフリー研究会の設立者であり事務局長をしていた私に依頼があった。
北浦和公園の中にある近代美術館を使いたいとのこと。
内容をOMIYAばりあフリー研究会代表にしていた車椅子を利用している傳田ひろみ(現さいたま市議)さんに伝える。
私ひとりで対応してほしいとのこと。
団体が運営するデイケアNEUE(ノイエ)の人も忙しいからひとりでと言う話である。
これは傳田ひろみさんの嫌がらせである。。
わかっていたが黙って私ひとりで対応することにした。
なぜ傳田ひろみさんは嫌がらせをしていたのか。
埼玉県の障害福祉課が担当する委員会まではいかないが場が開かれていた。
ここに傳田ひろみさんも参加していた。
この県の場での傳田ひろみさんの発言記録を読んだ熊谷の障害者団体のユートピア代表の飯田さんからクレームが私に電話で伝えられる。
私が記録を読んで内容を確認する。確かに団体間で話し合われた方向性と内容が違うのです。
傳田さんに聞くと私の考えだと言う。
OMIYAばりあフリー研究会の代表であり埼玉障害者市民ネットワークにも参加しているのでちょっとまずい。違う考えがあるなら事前に団体内や市民ネットワーク間で話し合ってから県の場で意見を言わなければならない。
県の記録には傳田さんの個人の意見としてと記録されてはいない。
県に訂正して貰うように傳田さんに伝える。
傳田さんは県に連絡しないとのこと。
私が障害福祉課の担当者に直接連絡。
内容が違うので訂正の依頼をしたのです。
傳田さんとしてはプライドを傷つけられたのでしょう。
このことから極端な私に対する嫌がらせが傳田さんよりはじまる。
こんな状態の中で北浦和公園の近くに住んでいた方
視覚障害を持つ早川さんから依頼があったのです。
1998年:埼玉県立近代美術館に私が直接電話連絡
美術館を使いたい視覚障害を持つ方がいることを伝え
バリアフリーについて話し合いの場を設定したい旨を伝える。
埼玉県立近代美術館と2回話し合いが行われた。
1回目の時は話し合いは平行線で混じり合う部分は少ない。
言い合いになるような場面も多かったのです。
話し合いが終了して学芸員の方が常設展を案内するとのこと。
絵の前で視覚障害を持つ早川さんが説明を受ける姿を私が見る。
終了後美術館から出て歩いてるときに聞く。
説明を聞くだけで面白いの?
すごーく同じ色でもいろんな色があり
説明が上手なので楽しかったと言うのです。
「楽しいんだ」。
このことが印象に残る。
2回目の美術館との話し合いの時。
北浦和公園及び埼玉県立近代美術館は黒川紀章さんの著作権がありできないと美術館側から言われる。黒川紀章さんへは私から連絡します。了解とれればやって頂けるということですねと追い込む。
北浦和公園も埼玉県立近代美術館も黒川紀章さんの設計です。
話は美術館内の話に展開していく。
館内にも点字ブロックを設置してほしいと私たちは要望。
通常の公共施設を頭に描いていたのでごく自然な要望である。
美術館は美観が壊れるので反対。
押し問答している中でふと1回目の絵を視覚障害者の早川さに説明する場面が頭に浮かぶ。
館内に点字ブロックを設置しても
美術館の催しは展示ごとに変わってしまいます。
もし美術館の方が受付から案内してくれるならこちらのがベター。
現段階は視覚障害を持つ利用者が多いとは思えないことも想定できる。
美術館側に受付まで来たら案内してくれるか
美術鑑賞のガイドを行ってくれますかと提案してみる。
欧米で行っている美術鑑賞ガイド
これを美術館側は連想できたようである。
ポジティブな回答を頂けたのです。
偶然的なひらめき
これが視覚障害者の美術鑑賞ガイドになるのです。
北浦和駅から北浦和公園を通り埼玉県立近代美術館受付まで
点字ブロックを設置することを要望することにした。
館内受付までも当初美術館側は嫌がっていたが・・。
綺麗に設置できる点字ブロックの種類を提示すると了解する。
美術館側は点字ブロックがはがれて汚くなるイメージの為
嫌がっていたことを知りました。
妥協ラインを双方確認できた。
黒川紀章設計事務所にも
美術館側から連絡してくれることになる。
なんと日本でもっとも早く珍しい取り組みが動き出す。
1998年のことである。
常設展の視覚障害者の美術鑑賞ガイドでは日本でもっとも早い。
実際に動き出したのはバリアフリー工事が終わった2000年である。
1998年この2回の話し合いですでに北浦和公園と埼玉県立近代美術館のバリアフリー工事と視覚障害者の美術鑑賞ガイドの方向性が決定していたのです。
北浦和公園の近くに住んでいた早川さんと喜んだのを覚えています。
私ひとりで全て行ってしまったが
OMIYAばりあフリー研究会の活動ですから
代表の傳田さんにはバリアフリーだけでなく視覚障害者の美術鑑賞に繋がることになったことを伝える。
不満な顔をしたのを覚えていますね。
私が失敗するのを見たかったのでしょう。
素直な嫉妬心である。
OMIYAばりあフリー研究会の活動とは・・。
この団体が設立したデイケアNEUEの通所者の自律訓練を事業項目のひとつとして団体活動を行います。訓練として障害を持つ人を交渉の場にも参加させています。これがOMIYAばりあフリー研究会という団体の主な活動のかたちにしています。
役所とのアポ取りも電話をほとんどかけたことのない障害を持つ人に行って貰うかたちを取っていた。
なので傳田ひろみさんが私に嫌がらせをしなければ
傳田さんやNEUEのメンバーも参加していたのです。
方向性が決まった後。
埼玉県立近代美術館からの連絡を待つ期間。
傳田ひろみさんの知り合いが美術館の帰りに北浦和公園の段差から転落したようである。改修工事が行われる前は北浦和公園は入り口から美術館までにデザインされた段差があったのです。
傳田ひろみさんに段差から転落した方の親御さんから連絡が行ったようである。私に団体として美術館に抗議とバリアフリーを求めに行くと言う。
「・・・」。
すでにバリアフリー工事の方向性は決まっていること。
傳田ひろみさんには伝えているのですでに方向性は決まっている。
転落事故についての抗議は自由であることを伝える。
OMIYAばりあフリー研究会以外の人と
傳田ひろみさんは抗議に行ったようだ。
誰と行ったのかも私には報告がない。
この後で傳田ひろみさんが北浦和公園の図面を持ってくる。
どこに点字ブロックを設置するかなど
書き込んでくれとのこと
北浦和公園にも直接行き
歩きながら傳田さんに説明をして貰いたいことも言われる。
珍しい。
私に嫌がらせをしている時期なのです。
傳田さんは社会問題としてのバリアフリーにも関心は高くない人。
大学も出て自宅で塾の教室を開き生きてきた人である。
障害者運動とは距離をおいて生きてきた人だ。
そんな人を巻き込んだのが私である。
団体の代表という位置に付けてしまった。
後悔も私には当時合った。
私の北浦和公園や美術館の改修工事の考え
説明をしてくれとの話は悪いことではないので了承
視覚障害者の早川さんにも参加して貰えるか聞くと伝える。
なぜか傳田ひろみさんは他の視覚障害者の人に依頼する。
埼玉県の人ではなく千葉の人がわざわざ当日来たのです。
後から考えれば
ここまで傳田ひろみさんは騙していたのである。
驚きますね。
この頃である。
傳田ひろみさんが団体のポストの郵便物
これからは私が取り出すからと言うのである。
傳田さんはほとんど何もしない人。
デイケアは職員も通所の障害を持つ人も
交代でトイレ掃除などもしていた。
当然私も当時行っていた。
傳田ひろみさんだけしなかった。
そんな人が急にポストの郵便物は私が取り出すと言う。
たまに私がポストの郵便物を取り出しデスクの上へ
それを見ると怒り出したのことを覚えている。
郵便物と電話の連絡先を自分の携帯へ。
この人がやっていたことのようだ。
単純なだましの方法である。
この後・・。
埼玉県立近代美術館に記録が現在も残る
意見交換会などの会合が4回行われた記録がある。
そこにはなぜか私の名前が記載されています。
私は参加していません。
私が出たのは早川さんと出た2回である。
その記録はなぜか残されていない。
記録が残る会議。
●経緯
1998年:2回美術館と話し合い(斉藤・早川参加)
1998年:傳田ひろみが美術館に怒鳴り込む
1998年:傳田ひろみがなぜか美術館から図面を預かる。
1998年11月:傳田ひろみに私が北浦和公園内や美術館の受付までの改修箇所を説明する。千葉から来て頂いた視覚障害者の方にも確認して貰う。
1998年11月30日:北浦和公園のバリヤフリー化のための障害者との意見交換会
1999年1月27日:近代美術館バリヤフリーのための障害者との意見交換会
1999年2月16日:埼玉県立近代美術館のバリヤフリー化に関する意見交換会議事録
1999年4月20日:美術館のバリアフリーに関する打ち合わせ
2000年視覚障害者の美術鑑賞ガイドを含む美術鑑賞ガイドスタート
記録が残る美術館との意見交換会4回。
私と早川さんという方は参加していない。
2000年にスタートしたのも新聞で知る。
美術館に電話しようとすると傳田ひろみさんが
早川さんら視覚障害者の方たちが参加してるから任せたとのこと。
早川さんに団体の通信へ文章を頼もうとすると
傳田が頼言う。原稿を貰ってきたのです。
早川さんは書いていないことを2018年に電話で確認。
傳田ひろみ(車椅子のさいたま市議会議員)さん。
嘘に嘘を重ねたことから美術館側も隠すことになる?
私や早川さんが参加したような記録を作成している。
美術館の課長と部長が両方とも1999年3月で移動になる。
何があったのか説明して頂く必要がある。
視覚障害者の美術鑑賞ガイド
視覚障害者団体も知らない美術館の取り組みとなる。
2018年から調査した結果ほとんど利用者はいない。
結果から推測できることは取り組めなくしてしまった。
知られたくないからだろうか?
全て表に出さないと
きちんとした美術館の取り組みとはならない。
2019年に私が話し合いの場を設定を行った。
現在は美術館のホームページにも記載
令和元年度事業としてリニューアル。
ただ・・
全て表に出さないと変わらないだろう。
未だにおかしな資料が発見される。
情報公開制度にも触れる可能性
出てきているのである。
公文章を変えること。
普通公務員はやりません。
誰かよほど職員に影響力のある人
動いたのだろう。
埼玉県選出の当時国会議員
2000年だったか謝罪に来てるのです。
何に対してこの人が謝罪に来たのか
未だによくわからない。
全容解明が必要である。
なぜならばこの後で次々公共事業がらみのこと
起きてるのである。
ミ((((( ̄○ ̄) こまったね〜
文責:斉藤吉智
ミ((((( ̄○ ̄) ドンドンドン。
●準備中
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2021-NO:001-08月発行
2021-NO:002-09特別発行
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●●2021年11月13日土曜日開催(修正再UP)
さいたま市タウンミーティング録音完全版リンク●●
テーマは新市庁舎。さいたま新都心へです。
*見沼区役所にて10:00~11:30までの分です。
*私も参加してます。
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*年1回作成し広く知って頂く取り組み。
視覚障害者の美術鑑賞レポート2020制作中
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