「私と会ったことあります?」「無いです」。2019年3月29日。埼玉県立近代美術館副館長を交え今後の視覚障害者の美術鑑賞の方向性を確認する話し合いの中で確認したことだ。
(- ゛-) ぱふ
主席学芸委員の大越さんに私が聞いたのです。
平成11年(1999年)1月27日。近代美術館バリヤフリーのための障害者等との意見交換会報告書の中に私と大越さんの名前がある。
それで確認したのである。
明確に私と会ったこと無いと回答。
大越さんは正直に答えたのだ。
私も大越さんと会議の場で会ったことが無い。
ようするにこの公文章はおかしいのです。
このことが確認できた。
過去のことを追求するか
未来へ向けての取り組みだけを進めていくか
この日は確認するための話し合い。
それで副館長出席を求める。
美術館側は・・
ずっと説明の中でOMIYAばりあフリー研究会の関与
美術館や北浦和公園のバリアフリーへの関与を否定。
曖昧にする中でごまかしていたのです。
追求する中で開示請求を出すことを本庁教育局に伝える。
そして出された一部が平成11年(1999年)1月27日。の記録である。
だいぶ前の話でしょ
でも現在も視覚障害者の美術鑑賞は続いてる。
美術館側は継続していると言っていたのです。
利用者はほとんどいません。
誰も知らない取り組みになっていた。
なぜ?
「・・・」。
確認できたことだけ言うと
当時会議に参加していた主席学芸員の大越さん
私のことを知らないのです。
私も会議の場で会ってない。
記録がなぜか間違ってるのです。
次々嘘が浮かび上がる。
日本で常設展では最も早く視覚障害者の美術鑑賞が始まる。
スタートは2000年。介護保険が始まった年だ。
それがほとんど広報されず埋もれる。
理由は?
たったひとりの車椅子の人が欲望に負けて嘘をつく。
騙したことで育っていく芽を摘んでしまう。
自分が行ったことにしようとしたのです。
傳田ひろみさん。現在さいたま市議のやったこと。
明らかにしないと未来が作れないようである。
この人の力だけではできないけどね。
誰が関わった?
美術館の職員も取引したと言う話もある。
噂の通りの状態になっている。
「・・・」。
2019年3月29日。埼玉県立近代美術館副館長を交え今後の視覚障害者の美術鑑賞の方向性を確認する話し合い。過去を追求するか未来に向かい歩むかを決める為に私が設定した。
過去を放置したまま未来へは歩めない。
新たな証拠も発見されたことで明確に見えた。
だから書くことにした。
残念なのはOMIYAばりあフリー研究会。
井上昭雄さんが私に2001年頃に謝罪に来た。
傳田とやったことを謝りに来たのである。
この時に私は意味がわからなかった。
忙しくてそのままにしてしまうのである。
私自身の反省もある。
事実行われていたことを確認すると・・
残念なことが起きていたことを知る。
これだけではないのです。
いくつも日本で初めての取り組みが消える。
障害を持つ人自らが欲望に目がくらみ
未来を消しているのである。
酷いことである。
ミ((((( ̄○ ̄) すうぃ~
文責:斉藤吉智
ミ((((( ̄○ ̄) ドンドンドン。
●準備中
2021-NO:001-08月発行
2021-NO:002-09特別発行
-----
●●2021年11月13日土曜日開催(修正再UP)
さいたま市タウンミーティング録音完全版リンク●●
テーマは新市庁舎。さいたま新都心へです。
*見沼区役所にて10:00~11:30までの分です。
*私も参加してます。
-----
-----
*年1回作成し広く知って頂く取り組み。
視覚障害者の美術鑑賞レポート2020制作中
0 件のコメント:
コメントを投稿