七里駅北側の区画整理や七里駅の南北自由通路の資料を開示。資料を読み込んでると2001年当時を思い出す。
(- ゛-) ぱふ
今日は平成13年(2001年)度第2回さいたま市都市計画審議会記録を読む。ネットにアップされていた時期があったようで開示請求はいらないとのこと。情報提供して頂いた。
七里の桜関係では2回目だ。
市の出資団体の協会からもあった。
「うぷっ」。
この資料はかなりリアルな資料である。読み物としても興味深い。ただ同時に透けて見えることもある。隠したいことがある時の情報の出し方だ。何度もいろんな役所に開示請求してるので同じパターンの騙し技を経験しています。
おんなじです。
当時のことで知ってることがあるから。すぐ気が付くのですけどね。知らない人はわからないでしょう。
簡単に言うと七里駅の橋上化。この資料の中に求めてることが書いてある。1980年代に橋上化を求め署名活動をしたようである。古くから七里駅の橋上化を求めたと言う資料になります。
ところが2001年って。街づくり条例を県も市も作っている時代である。バリアフリーやユニバーサルデザインの考え方。確立されてる頃なのです。1980年代とまったく駅舎のデザインの考えが違います。
特に1980年代は自宅を作る時も平屋より2階を好む傾向がまだ強い。駅へ求める考えも立派な駅である。バブルに突き進んだ時代ですから見栄っ張りな心理が強いのは自然なのでしょう。
2001年は国が地方に補助金を出す時。障害者団体の意見や地域の意見を聞く機会を大切にする時代である。小さな駅の橋上化は普通は求めない。だから変なのです。
ひとつの例が1998年だったかな。国土交通省の企画で対談が行われ新聞に見開きでこの対談が掲載された。
アナウンサーだった幸田シャーミンさんや埼玉県の副知事もやった坂東さんなどと対談に参加したのが私が設立した団体の代表になっていた障害を持つ方である。
この時に対談した軸のひとつが合意形成。これからの道路は地域との合意形成の重要性が語られてるのです。打ち合わせに私も参加して私が提案した内容なのでよく覚えています。
国は無駄な道路予算を減らしてたのです。
それと合致したから使われたのでしょう。
「むふ」。
そして2000年は介護保険の始まりの年。国の施策が施設から地域へと変わった年なのです。街の中で高齢者も暮らして行くことが前提となったのです。当然バリアフリーの街づくりへの取り組みも大きく転換した年である。
このころバリアフリーに少し詳しい人なら言う。バリアを作り障壁をバリアフリーにするより最初から誰でもが使えるようにするのが大切だとね。これがユニバーサルデザインの考え方である。
小さな駅を橋上化する。これは2001年当時では古すぎるのです。だから不思議である。私は2001年東武鉄道から七里駅と大和田駅の橋上化の話を突然言われてます。
通勤体験と言うイベント。2001年7月15日に行っている。埼玉新聞に掲載されていた記事が手元に残っていたので確認できる。この時に参加して頂いた東武鉄道の人が後日来訪した時に言われてるのです。
理由を説明して反対を伝えている。
それがどうして利用者の利便性や高齢者や障害者も使えるようにする為に橋上化なのでしょう。相川さいたま市長と東武鉄道根津社長のやりとりを読むと驚きますね。
東武鉄道社長が市長へ送信した書面。
全部さいたま市が金出せよと言っている。
維持費も出せよと言う意味だ。
さいたま市は丸呑みした。
こんなの普通市長は蹴ります。
「キック!」
なぜ丸呑みしたのでしょう蚊。
「ぶ~ん・ぶん」。
行政資料って
背景が少しわかると面白いのです。
僕のコレクションに入れておきましょ。
「悪い奴は誰だ~
悪い奴はいねえか~」
なまはげコレクションだ。
平成13年度第2回さいたま市都市計画審議会記録。読みたい人はダウンロード先を教えます。メールボックスからメールください。
ミ((((( ̄○ ̄) ミッケ
*こちらに桜の木の日替わり写真は投稿。
ー七里の桜の木に関する新聞記事ー
*リンクできなくなっている*1216また繋がる。
大宮経済新聞20201114
毎日新聞20201119
読売新聞20201120
*ネット上のリンクが無い。
朝日新聞20201125
ー七里駅の桜の木に関する資料ー
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