この書籍は記録を確認する上での入口の書籍ぐらいかな。ちょっと視点が偏りすぎている。逆に言うと1980年台の在日朝鮮人の日本人の見方が見える。
(- ゛-) ぱふ
私は1970年代に小学生。
1985年が二十歳の人である。
この書籍を書いた人たちと同じ考えの人たち
在日朝鮮人を子供のころから知っている。
この日本人に対する見方
日本人を敵とみなさないと仲間外れ
そんな人たちを見かけてきた。
私は東京の下町育ちだ。
なんか懐かしさすら感じる。
「ぷっ」。
日本人の中にも
単純に朝鮮人を下に見てたとか
日本人を差別者のように言う人もいる。
そんな人は幼いころから朝鮮人と関わっていない。
平和や人権のワードを使っているだけの人だ。
対立だけを作り出した人たちだ。
だって幼いころから関わり育った人たち
普通に遊んで育つのである。
私がそうだった。
ただ・・
大きくなるにつれて
日本人と遊ぶと仲間外れにされる
周りの影響で別れていくのである。
そうさせた中に
人権とか言っていた日本人もいた。
これが現実である。
1970年代・1980年代って
そんな時代である。
明確に言っておく
目的が日本人と朝鮮人の友好なら
正反対の結果しか出ていない。
「きっぱり!」
1977年(昭和52年)11月15日
横田めぐみさんが北朝鮮に拉致される。
彼女が中学1年生の時である。
私と横田めぐみさんはおない年だ。
私たちは東京オリンピックの年生まれだ。
北朝鮮が拉致したことは現在確認されている。
この書籍
かくされていた歴史
関東大震災と埼玉の朝鮮人虐殺事件
この調査が行われてる頃
北朝鮮が日本人を拉致していた。
これも歴史の事実である。
反吐が出る話だ!
もっとひどい話もあります。
拉致被害者が帰国するまでの交渉
2000年前後の頃に起きたこと
交渉中にも日本人の拉致が起きそうになる。
日本政府は知りながら無視していたのである。
「なっ。くそ野郎!」
ちょっと書けないよな。
具体的に書いたら
「・・・」。
ぼかして少しずつ書いてるけどね。
こう言う歴史的な前提を踏まえ
日本人と朝鮮人の友好を築きたいなら
やり方が違うことがわかる。
「ぶつぶつ」。
言いたいことは沢山ある。
少しくらいこの本のポイント
書き出しておきましょかね。
・埼玉で起きた朝鮮人虐殺の特徴
軍隊や警察ではなく自警団(一般大衆)が行う。
・余震が続く中で朝鮮人暴動のデマ
・過激社会運動取締(大正デモクラシー)
9月1日関東大震災が起きる。
9月7日治安維持令
*その2年後に治安維持法
改めて関東大震災とは・・。
大正12年(1923年)9月1日午前11時58分発生
相模湾の北西部あたりの海底を震源とする
マグニチュード7.9から8.2。
被害地域
東京・神奈川・千葉・埼玉・静岡・山梨・茨木
関東地方全域にわたって大被害をもたらす。
死者の多くは焼死。
昼時だったことから火災発生。
死者:99.331人
負傷者:103.733人
行方不明者:43.476人
消失戸数:447.128戸
全損戸数:128.266戸
半壊戸数:126.233戸
津波流出戸数:868戸
被害総額:当時の金額で百億
この書籍の中。
関東大震災の写真が掲載されている。
列車の上にも沢山の避難民が乗車している。
こんな人たちが大量に埼玉に避難してくるのである。
心が弱い人は恐怖心から襲うだろう。
パニックを起こしやすい人って殺すのである。
人間が持つ防衛防衛本能なのかもしれない。
よほど冷静で力のあるリーダーなら
殴って現実に戻させ自分の存在にて
冷静さを維持させられるだろう。
そんなスーパーマンみたいな人は少ない。
パニックが起きるることを前提とした
準備をしておくのが重要だろう。
写真を見たり資料を読んだりする中
パニックの怖さを感じますね。
なかなか読み進められない。
まっこんなところで・・。
ミ((((( ̄○ ̄) すうぃ~
文責:斉藤吉智
●●2021年11月13日土曜日開催(修正再UP)
さいたま市タウンミーティング録音完全版リンク●●
テーマは新市庁舎。さいたま新都心へです。
*見沼区役所にて10:00~11:30までの分です。
*私も参加してます。
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*年1回作成し広く知って頂く取り組み。
視覚障害者の美術鑑賞レポート2020制作中
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