2022年10月16日日曜日

思い出:福祉時代:バリアフリーマップ:自由自在マップの意味:20221016

先週の休みの日の続き。1997年に作成したバリアフリーマップ。今日は自由自在と名称にした意味を説明しましょう。


(- ゛-) 

1996年。交通アクセル埼玉統一行動を大宮が担当。埼玉県の各地域から大宮駅に障害を持つ人が地域の駅を使い大宮駅に集まる。

あちこちでもめまくる。
大宮の窓口が現在市会議員をやっている傳田ひろみさんである。
この人は市や県や鉄道会社には連絡していたようですが・・。
やりますとだけ伝えただけだったようだ。

言われたことだけやる人。
経験が無い人だった。

駅員がひとりしかいないような駅でも
何人も車いすの人が押しかけてしまう状況になる。

それを狙って行うならわかるのですけどね。

JRの担当者が中止だ!と叫んでいた。

「クス」。

傳田ひろみさんは対応できなかった。
私はこの時は傳田さんから手伝ってと言われ来ただけ。
意味が良く変わっていないので近くで最初は見ていた。

交通アクセスに毎年関わっていた他の地域の団体の人から
大宮の人間なのだからJRと交渉してと私の所に来る。
傳田さんでは無理なようなので私がJRと交渉。
私は交渉上手でした。

どんな交渉をしたかと言うと・・
埼玉で統一行動が行われる前の団体とJRの衝突事件のこと
新聞沙汰になった事件を使ったのである。

東京でJRともめて線路内に入る人まで出る事件があった。
電車を止めてしまう事件が起きているのです。

新聞を読んでいたので
ここで中止すると先日起きたみたいなことになりかねない。
協力し合いながら進めましょうと提案。

もう少し厳しい言い方ですけど
最後までイベントを続けることになる。

「むふ」。

大宮駅も含め
人の手が1996年の駅は現在より必要だった。
そんな時代の大宮駅のバリアフリーマップ
自由自在と名付けているのです。





まるで完璧なバリアフリー状態の名称である。

これは手伝って頂いたデザイナーの人たち
彼らにどうやって利用できるのかの資料を渡す中
デザイナーの人たちが仮称として付けたネーミングである。
何も知らないから付けたネーミングだ。

最初は名称を見て私もエッと思った。
大宮駅は大きな駅ですが自由自在では無い。
夜にデパートが閉まると当時はエレベーターが無い。
それでも工夫すればなんとか人の協力も得て利用はできる。
その程度の駅です。

まずは現在の利用できる形を情報発信。
当然不便だと多くの人は言う。

マップを作った団体にもクレームが来る。
しかも自由自在マップである。
文句も言いたくなる。

事実私は何人かクレーム対応してます。

自由自在マップの仮の名称
私はそのまま使うことを決めてメンバーに提案したのです。
理由は利用者のクレームを関係機関に届ける。
その為の道具として使えるからだ。

クレームを出させる為にその名まえをそのままにした。

「むふ」。

発想の転換である。
当然クレーム対応のできる力が無いと無理。
クレームを負担に思う人では無理である。

私がクレーム対応することで了承される。

マップはOMIYAばりあフリー研究会単独事業。
交通アクセスさいたま実行委員会とは関係ない。
ここを勘違いする人が多い。

1996年の交通アクセス埼玉埼玉統一行動。
1年間毎月1回行政との交渉を行って来ました。
イベントは傳田ひろみさんが窓口で行ったのですが
交渉の会議は障害者市民ネットワーク(越谷・春日部)から
糸賀みかこさんと吉田まさひろくんが応援に来る。
私の所に会議を仕切ってくれと来たのです。

私が交通アクセス実行委員会の会議
毎月出て仕切っていた理由だ。

傳田さんは窓口として
行政への連絡や他団体への連絡をしたのです。
1996年の交通アクセス実行委員会
大宮の責任者は傳田ひろみさん
責任者は変わりません。

傳田さんからも頼まれてましたしね。

この毎月行われる会議に関わったことから
結果が出せないもどかしさを私は感じる。

それで交通アクセス実行委員会として
大宮駅のマップを作らないかと最後に提案する。
支援に入っていた糸賀さんや吉田まさひろ
彼らからも大宮でやってと言われる。
やらないと言われる。

それで交通アクセス実行委員会の大宮の役目は終了。
次につなげるかたちも残さず終わらせること
私の性格には無い。

それで大宮で作ることにした。
OMIYAばりあフリー研究会と言う団体
マップを作る為に急遽作った団体である。
元々が私の意地である。

結果は良かった。
マップが新聞に紹介され
役所の態度が急激に変わっていた。
そんな中で障害者市民ネットワークの山下ひろしさんから
交通アクセス実行委員会を大宮で続けてくれないか
そんな話が私に来たのです。

1998年だったかな。



団体でデイケアも立ち上げたばかりの時である。
*1998年から補助金を旧大宮市に貰い運営した無認可施設です。

正直忙しくてお断りしたがお願いされやることになる。
マップを作製した期間は交通アクセス実行委員会
大宮は担当を外れていた期間なのです。

2001年まで大宮が担当した理由
再び頼まれたからなのです。

行政や交通機関と私が直接話をしていた理由だ。

2000年に介護保険がスタート
施設から地域への国の施策の変更から
交通アクセス実行委員会は役目が終わっていたのです。
だって新規設備は何も言わなくてもバリアフリーになる。

古い設備は利用者が多い場所から改善。
行政や交通事業者とも話し合う場は作れる時代になる。
交通アクセス統一行動をしなくても
各団体で話し合う場はできた。

逆に2000年頃は行政から呼ばれる会議の場やバリアフリー点検。
多すぎて交通費がかかるからなんとかしてくれと言う話も出る。
熊谷の団体からも言われる状態だった。

社会的にはバリアフリーは注目度が上がっていたが・・。
団体活動としては役目はすでに終わっていた。

目的がバリアフリーを使う目的に移っている。
通勤や通学など共に暮らし合う中身に移行していた。

私も企業と話し合う機会を求め
その活動の結果として2002年に場を新たに作る。
埼玉トヨペット本社ショールームの中に一緒にいる場
はあとねっと輪っふるを企業と一緒に作ってるのです。

長くなるので自由自在のマップの名称の説明は終了。

ミ((((( ̄○ ̄) すうぃ~

文責:斉藤吉智

ミ((((( ̄○ ̄) ドンドンドン。


七里の花咲かおじさんとおばさんへの投稿は終了しました。

おかしいことをおかしいと言える人でいたい



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