高橋の弟の環太平洋のリゾート王と呼ばれた高橋治則。彼を通して山口敏夫(旧埼玉2区)は関係が深い。
(- ゛-) ぱふ。
中選挙区の時の旧埼玉2区。
川越市・所沢市・飯能市・東松山市・狭山市・入間市・富士見市・上福岡市・坂戸市・鶴ヶ島市・日高市・入間郡・比企郡
ようするに・・。
荒川の西側。埼玉の西側地域が山口敏夫の選挙区である。
山口敏夫の名前を覚えておくと言い。
2001年合併してさいたま市になる。
平成の大合併の始まりはさいたま市なのである。
この時にウロウロしていたひとりが山口敏夫。
埼玉の政治家ですから俺の地元顔だ。
「とりゃ~!」。
●山口敏夫とはどんな人か?
1940年東松山市生まれ(現在82歳)。
東松山市と言うとみそだれの焼き鳥が知られている。
山口敏夫の選挙区だった川越市には霞が関カンツリー倶楽部がある。
東京五輪で会場となったゴルフ場だ。
山口敏夫と仲のいい環太平洋のリゾート王と呼ばれた高橋治則。
そして兄の五輪汚職事件の高橋治之とふたりとも慶應義塾大学。
このことと関係があるのでしょう金(カネ)~。
「むふ」。
山口敏夫と高橋治則は麹町三番町マンションの住民仲間でもある。
このマンションは駐日バチカン大使館の裏である。
「なるほど」。
当選同期に河野洋平や塩じいこと塩川正十郎がいた。
1967年第31回衆議院選挙の頃は最年少(26歳)当選議員である。
無所属で当選したことから人気があったことがわかる。
「なるほど」。
ロッキード事件を受けて河野、西岡、田川誠一ら自民党内のリベラル派議員で新自由クラブを結党。神奈川県の平塚生まれの河野との関係の深さが見えますね。
ちなみに・・。
合併してさいたま市となる1年前。2000年。
安倍晋三が官房副長官になった時の秘書官は井上義行。
生まれは平塚市のとなりの小田原市である。
政治の世界は学閥や地元意識など繋がりを作ります。
河野洋平の息子の河野太郎は井上義行と同い年でもある。
1963年生まれだ。
親父の洋平が生まれた平塚市。
河野太郎と同い年の井上義行は安倍晋三の官房副長官。
そりゃ~親しくなるでしょ。
偶然のつながりと言う神業である。
山口敏夫のことは長くなりそうである。
ここで一旦切りましょ。
今年最後の文章となります。
良いお年を・・。
ミ((((( ̄○ ̄) すうぃ~
文責:斉藤吉智
ミ((((( ̄○ ̄) ドンドンドン。
2021-NO:001-08月発行
2021-NO:002-09特別発行
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●●2021年11月13日土曜日開催(修正再UP)
さいたま市タウンミーティング録音完全版リンク●●
テーマは新市庁舎。さいたま新都心へです。
*見沼区役所にて10:00~11:30までの分です。
*私も参加してます。
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*年1回作成し広く知って頂く取り組み。
視覚障害者の美術鑑賞レポート2020制作中
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