2022年12月9日金曜日

さいたま市長清水はやとの経歴を見る:20221209

清水市長の事務所は家から歩いていける距離にあった。見沼区で事務所を構えていたことを知る。浦和に移っていたと思っていた。


(- ゛-) じろ

清水市長のサイトにあるプロフィールから経歴や住まいの推移を見る。

1962年:昭和37年3月:埼玉県戸田市生まれ。
1971年:昭和46年:旧大宮市立植水小学校へ転校・小学2年生の時
1975年:昭和50年より中学1年・浦和区常盤5丁目
*市役所まで歩いて行ける距離の場所です。
1981年:昭和56年4月、日本大学法学部政治経済学科入学。
1985年:昭和61年3月日本大学法学部政治経済学科卒業
1985年:昭和61年4月財団法人松下政経塾入塾
1988年:平成元年より緑区中尾へ
1995年:平成7年、33歳の時に、埼玉県南6区(上尾市)から埼玉県議会議員選挙に初めて立候補し。落選。●衆議院議員秘書土屋品子公設第一秘書(衆議院秘書時代は国会と岩槻区、蓮田市担当)
1997年:平成9年7月:●さいたま市見沼区在住
2003年:平成15年、南6区(さいたま市見沼区)県会議員初当選・自民党公認

2009年:平成21年、さいたま市長選挙に立候補初当選
2013年:平成25年、さいたま市長選挙2期目当選
2017年:平成29年、さいたま市長選挙3期目当選
2021年:令和3年、さいたま市長選挙4期目当選

清水勇人事務所:現在埼玉県さいたま市見沼区東大宮7-70-3-1にある。

●この経歴のポイント
1995年から2003年までの期間は土屋品子衆議院議員の公設第一秘書。土屋品子の父親は土屋義彦である。土屋義彦1992年から2003年まで埼玉県知事を務める。

さいたま市の合併の起源は衆議院議長だった土屋義彦と畑和(ハタヤワラ)埼玉県知事との約束から始まったと言われている。

2000年の合併協定書の時。
土屋義彦・土屋品子らの近くに土屋品子衆議院議員の公設第一秘書清水はやとがいたことが確認できる。

「は・ひ・ふ・へ・ほ~」。

興味深いですね。

ミ((((( ̄○ ̄) すうぃ~

文責:斉藤吉智

ミ((((( ̄○ ̄) ドンドンドン。


七里の花咲かおじさんとおばさんへの投稿は終了しました。

おかしいことをおかしいと言える人でいたい


2022-03特別号(市役所前配布)


詳しい説明へ2020-02号


2021-NO:001-08月発行


2021-NO:002-09特別発行


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●●2021年11月13日土曜日開催(修正再UP)
さいたま市タウンミーティング録音完全版リンク●●

テーマは新市庁舎。さいたま新都心へです。
*見沼区役所にて10:00~11:30までの分です。

*私も参加してます。

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■七里の桜や橋上化・南北自由通路経緯

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視覚障害者の美術鑑賞レポート

*年1回作成し広く知って頂く取り組み。

 

 

視覚障害者の美術鑑賞レポート2020制作中

 

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