七里駅北側にある3本の桜の木。樹齢70年。高さは14mくらい。複数の幹を持つ株立ちの木である。3本ともこの場所から撤去されます。残してほしいと言う署名にサインしたことから調べ出すと驚いた。おかしなことだらけなのです。
(- ゛-) ぱふ
今回は調べた経緯を書きます。●は重要ポイントの印。■は重要ポイント及び資料あり。▼は七里の桜の会。▲は私の関係。
少し説明しましょう。
昭和61年5月26日(1986年)七里駅北側地区まちづくり懇談会を開始する。これが七里駅北側の区画整理への始まり。ただ現在行われている区画整理。2000年の組合準備委員会で事業計画書(案)が作られている。ようするに2000年から動いたと言えます。ここは重要です。
またこの区画整理内にある都市計画道路。東大宮七里線。これは昭和38年8月12日都市計画道路東大宮七里線当初決定(建設省)。国土計画の中での単なるプランである。
実際に決定して動き出したのが平成16年。さいたま市が最終決定して動いた。ようするに平成14年2002年埼玉県知事に組合認可申請を出すことで全てが動いたのである。
さいたま市の都市計画の中で全て動いたのだ。
区画整理・都市計画道路・南北自由通路・駅舎改修そして七里の桜の木の伐採である。全てが2000から2001年に計画が作られ2002年組合認可。私が勝手に命名した悪魔の契約がさいたま市と東武鉄道と組合準備委員会により結ばれたのだろう。
そのことが経緯を書き出すと良く見えます。
私のことも書き込んでおきます。
理由は別に書きます。
では経緯を見てください。
・平成7年12月(1995年)
1年間の欧州の旅から戻る。
・平成8年(1996年)
交通アクセス埼玉統一行動が大宮で行われる。
*その後毎月1回1年間旧大宮市と話し合いが行われる。
この話し合いが大宮市内の障害者が集まるベースとなる。
平成8年(1996年に追記)追記:20240320
大宮市との話し合いは結果が出なかった。それで私が考えたのが大宮駅のバリアフリーマップだ。交通アクセス埼玉実行委員会大宮で作成することを提案。大宮でやってと言う意見が多く交通アクセス埼玉実行委員会大宮担当は終了した。
・平成9年(1997年)
OMIYAばりあフリー研究会団体申請。*団体登録することで会議室が優先予約できる。
・平成9年(1997年)追記:20240320
交通アクセス埼玉実行委員会の名称が使えなくなる。福祉センターの会議室も借りられなくなる。交通アクセス埼玉実行委員会大宮と市の話し合いに参加していた人たち。少数だがその人達にマップを作らないか提案。費用見積もりは最初は200万。誰も出さない。仕方が無いので私が全額出すからやろうということを提案。会議室が借りられるように団体登録をする。この会がOMIYAばりあフリー研究会である。
・平成9年(1997年)
大宮駅のバリアフリーマップをヤマト福祉財団から補助金を貰い作成。1年間大宮市と話し合いをした成果をマップに残すことにした。*日進中学のボランティア体験と市立養護の生徒の参加する機会となる。
・平成9年7月頃(1997年)
デイケアをOPENの為に大栄橋交差点のビル1Fを借りる。
この時に通ってキタ人たちがOMIYAばりあフリー研究会初期メンバー。
大宮市との話し合いで集まった人たちの場が必要になったからだ。
・平成9年12月10日(1997年)
日本民営鉄道申し合わせ:草加市議会記録アリ。
・平成10年1月21日(1998年)
東武鉄道(株)関係機関協議
*顔合わせと紹介を含めて東武鉄道と大宮市が初顔合わせ。
*現在記録の確認ができてない
東武鉄道が区画整理事業への負担金は支出する考えがないと言う。
・平成10年4月(1998年)
大宮駅から歩いて行ける場所にデイケアNEUE(ノイエ)OPEN
OMIYAばりあフリー研究会事務所を兼ねる。
毎日車いすの人が複数電車に乗り大宮駅に通うことになる。
JRや東武鉄道から最初はクレームが来た。そんな時代だ。
・平成11年3月と10月(1999年)
七里駅北口開設についてアンケート調査
*現在アンケートは確認できてない
・平成11年(1999年)
大宮市都市計画マスタープラン:宮ケ谷塔駅記載あり
・平成12年4月(2000年)
埼玉県立近代美術館で美術鑑賞ガイドサービス始まる。
*視覚障害者の美術鑑賞もこの取り組みに含む。
平成12年5月5日(2000年)
さいたま新都心街びらき
七里駅北側地区土地区画整理事業組合設立準備委員会結成以降現在まで 準備委員会33回開催
*この準備委員会が無理をした結果が記録に残ってる。
賛成しないと村八分にする。そんな記録が都市審議会記録にある。
*旧大宮市議会質問にて橋上化で検討したと記載あり。
東武鉄道が地区界(区画整理の範囲)決定の時期を聞いている。
*誰が参加したのでしょう蚊
×××平成12年11月×入×
施行地区となるべき区域図の縦覧及び未登記借地権の申告について告示を大宮市で行う
●●平成13年5月1日●●
さいたま市誕生(3市合併に伴い大宮市からさいたま市へ名称等の変更)(2001年)
埼玉建設新聞で記事。東武野田線七里駅北側特定土地区画整理事業、地権者の同意収集作業に着手。
*内容からすると事業計画(案)を元に書かれている。
▲平成13年7月15日
イベント:通勤体験
車いすの人の実際の通勤風景を知って頂く取り組み。OMIYAばりあフリー研究会主催。まちづくりと言っても様々な組織が関わります。縦割りの弊害により改善できないものも多くあるのです。このイベントには国土交通省・埼玉県・さいたま市・警察・交通事業者・メディアなどが参加し5つのグループに分かれて朝の通勤時間帯の通勤する様子を黙って見て頂きました。見た中で立場の違う人たちが意見交換を行うと言う企画です。
平成13年(2001年)
東武鉄道から七里と大和田駅の橋上化が決まったことを聞く。小さな駅は橋上化すると不便になるとことを伝える。バリアフリーではなくバリアを作ることを伝え反対する。
平成13年3月31日
同和対策事業終了。*33年間で15兆円。
平成14年1月10日(2002年)
都市計画案(区域及び促進区域)の縦覧告示
平成14年1月11日~同年1月24日
都市計画案(区域及び促進区域)の縦覧
■平成14年1月30日
さいたま市都市計画審議会で都市計画案(区域及び促進区域)が採択
■平成14年2月1日
さいたま市七里駅北側特定土地区画整理組合設立認可申請について
*さいたま市七里駅北側特定土地区画整理組合が土屋埼玉県知事に申請書を出す。
東武本社へさいたま市が訪問した日と重なっている。
*橋上化を進める話をしている。東武鉄道本社で区画整理支援課・都市交通課
●平成14年2月6日
埼玉県知事へ土地区画整理組合設立認可申請書を提出(さいたま市経由)
*さいたま市七里駅北側特定土地区画整理組合理事長の名で作成された組合設立までの経緯の日付は2月6日。同じ組合理事長名で実際に知事に送付した申請書は2月1日になっている。2月6日の記録は初代組合理事長の組合設立までの経緯に書いてある。
平成14年2月26日
施行区域及び促進区域の決定告示
平成14年3月1日
事業計画の縦覧告示
平成14年3月2日~同年3月15日
さいたま市にて、事業計画の縦覧を行う
■平成14年3月6日
東武野田線大和田駅及び七里駅の橋上駅舎化の計画について(協議)
*当時の相川市長が根津東武鉄道社長へ協力要請
・平成14年4月(2002年)
はあとねっと輪っふると言う場を埼玉トヨペット本社1Fショールームでスタート。*コンセプトは一緒にいる中で考えつくり合う。
*写真は私と埼玉新聞社記者
・平成14年6月3日
北袋町土地売買:(日本共産党)
*1億円は銀行から。他は寄付。
東武野田線大和田駅及び七里駅の橋上駅舎化の計画について(回答)
*根津東武鉄道社長が当時の相川市長がへ回答。
●平成14年7月5日
埼玉県知事から土地区画整理組合設立の認可がされる
東武野田線の改善を求める緊急要望書(東武野田線をよくする会)
大和田エスカレーターと南口の開設・大和田トイレ水洗化・七里駅東側の踏切拡幅
バリアフリーと橋上化を切り離してバリアフリーを先行する。
××平成16年:情報・外事3
■平成16年10月26日
都市計画道路東大宮七里線最終決定(さいたま市)
*橋上化ではなく北口開設の依頼をさいたま市七里駅北側特定土地区画整理組合理事長名で出している。
・平成21年5月
清水市長さいたま市長になる(1回目)
*車いす対応エレベーター・身体障害者対応トイレ・スロープ・点字ブロック。約3千万。
この設備を壊したり撤去して新しい駅が作られます。
交付期限ぎりぎりに行ってる。
国の予算が別に出てる可能性あり。
・平成21年度
大和田駅・七里駅の将来系に関する基本調査に関する業務委託。
*ここから橋上化が再開する。
■平成22年度
バリアフリー化を促進するための補助金交付期限
・平成25年3月31日
第1回七里駅北側特定土地区画整理事業計画施工期間(終了日)
*当初事業計画公告日は平成14年7月9日です。
■平成26年3月
さいたま市都市計画事業七里駅北側特定土地区画整理事業事業計画書(第3回変更)
*この変更の事業計画書が現在の計画書です。期間が延びてるので事業費が変わってるだけです。
・平成26年度
大和田駅・七里駅橋上駅舎化に関する基本調査(業務委託)の実施
・平成27年度
七里駅舎整備に関する測量(業務委託)の実施
七里駅舎駅舎整備に関する地質調査(業務委託)の実施
七里駅に関する駅舎整備方針検討(業務委託)の実施
・平成28年度
橋上化駅舎・自由通路の整備方針案の策定
自由通路整備に向けた庁内関連部局、東武鉄道や国との調整
七里駅橋上化駅舎・自由通路整備事業着手に向けた都市経営戦略会議付議
七里駅橋上化駅舎・自由通路整備の基本設計に向けた東武鉄道との協議
■平成28年7月28日
地平駅舎の検討の余地を東武鉄道に確認。
■平成28年9月21日(2016)
局長まで確認済み
■平成29年1月31日(2017)
平成28年度(2016)。第9回さいたま市都市経営戦略会議。
七里駅橋上化駅舎・自由通路の整備事業について(案)の資料が検討され了承される。
■平成29年2月17日(2017)
さいたま市議会まちづくり員会で七里駅橋上化駅舎・南北自由通路報告。(案)と内容は同じものを配布。
■平成29年03月17日予算議決。(第18号)(七里駅橋上駅舎・南北自由通路)
■平成29年12月22日~平成30年1月22日の期間。パブリックコメント実施(さいたま市総合復興計画後期基本計画にパブリックコメント)。
■令和元年9月13日
まちづくり委員会で七里駅橋上駅舎・南北自由通路の事業予定について説明
*都市計画道路へ七里駅南北自由通路を変更することを市議会まちづくり委員会に説明。自由通路や駅舎の予算の理由にしてないとのこと。国の要綱に従い都市計画道路へ。(都市課)
■令和2年2月21日
令和元年度第2回理事会:さいたま市七里駅北側特定土地区画整理組合
*補償費で切る予定が組合で切ることになることが理事会で協会から説明される。桜の木の撤去の看板もこの時に協会から説明される。
■令和2年3月2日
近隣説明等報告書(七里駅舎改修事業)
*令和2年1月に戸別訪問により何軒か行った報告書である。(建築指導課)。
■令和2年3月26日
東武野田線七里駅橋上駅舎及び南北自由通路設置工事に関する協定書
*東武鉄道の負担が1%未満が明記された協定書です。
■令和2年4月27日
令和2年度第1回さいたま市都市計画審議会
*都市計画道路として七里駅南北自由通路決定。
▼令和2年6月15日
私の提案:七里の桜を守る会が景観条例の重要指定樹木へ桜の木を提案
この提案に対する回答がまちづくり係から区画整理支援課に渡された後で回答が行われなかった。現在経緯調査の記録を開示請求中。
・令和2年5月
埼玉新聞:七里の桜の記事
・令和2年7月
総代会で桜の木の撤去説明
・令和2年8月4日
朝日新聞:七里の桜の記事
・令和2年8月22日
毎日新聞:七里の桜の記事
・令和2年度分
岩槻駅自由通路の維持費
七里駅の維持費を算出するための資料開示。
■令和2年9月14日
さいたま市議会まちづくり委員会速報版
七里の桜の木を組合が切ると決めたとまちづくり推進部長が回答。
切ることが決定したのが2002年の組合事業計画案が県に認可された時だ!
・令和2年10月2日
七里の桜の木をさいたま市区画整理支援課が樹木診断。
*株式会社内田緑化興業が行う。
■令和2年10月30日
七里駅橋上化駅舎・自由通路整備の促進について(要望)
整備の促進をさいたま市七里駅北側特定土地区画整理組合理事長名で出している。
■令和2年11月11日
区画整理法84条大阪判例を持ち出し開示請求を拒否
一般財団法人さいたま市土地区画整理協会から開示拒否の資料がメールで届く。
■令和2年11月15日
七里駅北側のソメイヨシノ移植の可能性の説明会
区画整理法84条大阪判例を持ち出し開示請求を拒否した件
さいたま市区画整理支援課長も同じ考えだと確認する。
・令和2年11月20日
読売新聞:七里の桜の記事
・令和2年11月25日
朝日新聞:七里の桜の記事
■令和2年12月23日
区画整理法84条大阪判例による情報開示拒否を区画整理支援課が撤回。
一般財団法人さいたま市土地区画整理協会も撤回。
・令和3年2月5日
桜の木のホーム側の幹を切る説明会
*コロナで地域の人向け工事説明会は中止される。
・令和3年2月12日
七里の桜の木。ホーム側の幹が切られる
・令和3年2月
まちづくり委員会:仮称宮ケ谷塔駅新駅質問:吉田一郎議員
請願第7号「宮ヶ谷塔駅設置の進捗状況を教えてください」
▼令和3年3月28日
七里のさくら祭り2021開催
*雨が降ると言われる中で75名の人が来訪。
スタッフ入れると80名以上の人が集まる。
・令和3年6月22日(2021年)
土地:共有者全員持ち分移転(日本共産党本部へ)
*七里の桜を守る会活動報告リンク
*七里の桜を守る会活動報告リンク
記録としては抜けてる部分が沢山あります。
おおまかな流れを知ることはできます。
この経緯を元に説明すると
理解が速いでしょう。
誰が浮き上がってくるの蚊。
ミ((((( ̄○ ̄) BU~N・BUN。
■個別具体的経緯
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