2016年10月30日日曜日

働く中途障害者の方へ

通学する時とか
買い物に行った時とか
障害を持つ人が働く姿をみかける


( - ゛-) ぱふ


中途障害者の方が多いようだ
それでも障害者雇用は増えたと言える


30年くらい前なら
脳梗塞なので半身麻痺になった人
働く場でミカケルことは少ない


1996年から7年間
障害者運動に関わった理由のひとつ
在宅何十年と言う中途障害の方
この方と出逢ったこともある


野球で甲子園にも出ていた方だ
大学卒業後は確か銀行だったかな
お勤めしていた方である


体が大きくてね
女性の方の介助では難しい
それで社会福祉協議会から頼まれ
外出介助を手伝うことがあった


ヨーロッパの旅から戻った頃だ
まだ就職活動をする気にもなれず
夜中に流通センターでアルバイト
昼間自由に使えたのです


図書館でヨーロッパでミタこと
調べタイと言う気持ちもあり
夜中働いた


今までと違うこともしたかったから
社会福祉協議会が募集していた
外出介助のボランティア
申し込んでミタのです


社会福祉協議会から頼まれ
あちこちボランティアで手伝ったこと
これがきっかけで障害者団体を作る
施設も作り職員として働いた


障害者団体を作るきっかけ
このひとつが中途障害を持つ方
この方との出逢いだ


外出介助も制限があってね
力のある男性の介助者も少なく
少し重い中途障害の方は在宅である


僕が出逢った頃は言語障害も強く
何をしゃべってるのかわかりずらい
在宅でしゃべる機会も減り
言葉の障害まで出てた


どんどん世間から離れる状態だった


脳の血管が切れた頃
まだ25歳くらいだったかな
甲子園に出場した野球部の人たち
仲間が応援してくれてたそうだ


リハビリも頑張り
働く意欲も高かったと聞く
現在なら働けたのではないだろうか


当時は難しく
何十年も在宅になってしまう
偶然僕が介助に関わることになり
また偶然に交通アクセス運動
さいたま市で行うことになる


公共の交通機関に障害を持つ人
乗せろと言う運動である


旧大宮市(さいたま市)
この活動をこの地域はやってなかった
1996年にやることになる


そこへ
この方も参加することになり
イベント終了後に旧大宮市との交渉


僕が交渉をセッティングする
事務局として活動したこともあり
一緒に活動することになる


打ち合わせや交渉の場
必ず来てくれていたのです


介助者がいない時があり
当時は手動の車いすに乗っていた
なんと後ろ向きで車いすを片足で漕ぎ
踏切も渡って来ていたのです


僕は偶然その姿をミテ
こんなことしてまで来てるんだ
なんで電動車いすに乗らないのだろう


本人に勧めると首をふる
ケースワーカーも医者も反対
みんなが反対するそうだ


理由のひとつが
片足が少し動くから
リハビリのためと言うのです


「・・・」


当時は東京の一部の地域だけ
全国でも先進的に福祉に取り組む地域
そんな地域しか許可が下りない
1種1級の人以外はね


手や足が少しでも動く人たち
電動車いすは許可されなかったのです


無理である
道路や歩道は雨水をどぶに流す為
斜めに作ってあります


段差も至る所にある
電動車いすがダメなら
外出時の介助者を支援すべき
できないのに電動車いすもダメ


人と話す機会も減り
言語障害まで起きてしまっている
現実を無視した運用はやめて欲しい


旧大宮市役所に伝えに行く
話し合いも決裂し裁判を起こすと伝え
この方の親御さんにも了承を貰い
委任状を貰った


役所にも委任されたことを伝えた


僕はいつの間にか
障害者運動の先頭に立っていた
ひとりの中途障害者との出逢い
これが僕に行動させていた


市側が折れ
医者の判断に任すことになり
お医者さんの考えも伺いながら
現実の街の状態を説明した
介助者もいない現実をだ


リハビリの観点から
暮らしの観点で電動車いすの許可
出して貰えるようになる


表に出るようになれば
公共の電車やバスの不便さも感じる
交通事業者との交渉も続ける


団体を作り
集まる場所も必要になり
施設も作る流れに繋がったのです


街の中に施設を作れば
何の為に施設を作ったのか
何の為に施設に行くのか
考えていきます


街に用もないのに出ません
働くと言うことの重要さを知り
企業との連携を模索する


そう言う活動の中
埼玉トヨペットと共同で取り組み
福祉の場を本社ショールームの中
作ったこともある


僕が活動を辞めたのが2002年10月
あれから14年近く経ちます


先日近くのヤマダ電機へ行く
中途障害を持つ人が販売員だった
たまたまお客が重なりレジが込む


何人もの販売員が2台の処理機へ
少し並んでしまったのです


中途障害の方
少しでも速く処理をしよう
思いが顔に現れていた


お客である僕も待たせられない
後の同僚に譲ることもできん
必死でしたね


同僚も慌てないでいいから
そうイイお客とのコミニケーション
取っていた


販売店の店員はキツイ仕事である
互いにライバル心もあるからね


そんな中でも
働く障害を持つ人がいて
なんとか頑張っている姿をミル


大変だろうけど
半身麻痺でも在宅になってしまう時代
そんな時代があったのです


そう思えば・・
何でも頑張れるでしょう


僕は現在52歳で学生である
就職活動は超大変でしょう
大変さを僕も味わいましょ


ミ((((( ̄○ ̄) しゅわっちゅ


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